追悼

Macは欲しいが、結局WindowsLinuxを買ってきた。
OS X になって、iMac を買ってはみたが、テレビ専用機でほぼつかわず。
iPhoneは使ってるがPCはいまだメインではMacユーザではない。
すっかりUbuntuの生活なので、MacBookはほしいが、ThinkPadUbuntu
まったく、アップル信者にはみえない。

でも、いつか買いたいと思っていた。いつも新モデルが出るたび、買うとしたらこれかと想像してた。
アップルの発表、ジョブズのプレゼンを楽しみにしていた。
ワクワクした、憧れた、そして、嫉妬した、なりたいとおもった、まさに、Genius だ。
彼が居なくなった喪失感は大きい。あの複雑なドキドキが味わえることはもうない。

今年は、子供のようなものをなくした、師のようなものをなくした。彼らからたくさんのものをもらったけど、私は誰かに,彼らにされたように、してあげられているだろうか?

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」
それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

この言葉が頭から離れない。
その時がきたのかな?