ショック

『意識が低い、今までと同じような考え方ではいけない』などとことがあるたび指導してきたが、相手よりもむしろ自分自身の方が『今までと同じような感覚』で接していたのではないか?と思うようなことがあった。
起こったこともショックだったが、自分自身のほうがよっぽどビジネス的でないことにびっくりしてショックだった。
SES契約から一括請負型に切り替わり、これまでは他の組織から『ベンダに対して甘い』などの批判も受けてきたし、プロパーかベンダかなどの区別もあまり意識しないように、一丸となって取り組みといったような運営を心がけてきたし、それによって品質、納期、コストについて成果を挙げ続けてきたのでそういった批判も跳ね除けてきた。でも、一括に切り替わり、問題に直面すると事情は変わってくる。今まではそんなときみなの英知を結集してピンチを乗り越えてきたが、一括ともなると、こちら側がそういう「直接作業を指示する」ようなマネはできないわけで、そんなときはあらかじめ定義された手順に従って実施されているかを監査することくらいしかできない。そういったことを繰り返して成長していくものだし、我々も一足飛びにココまで、人に誇れるほどの品質を得たわけでなく、試行錯誤を繰り返した。その際にSES契約で動員されていた要員たちはその姿勢を指導してはきたが、やはり取り組み姿勢は受身だったのだろう。まぁそれは仕方がないし、ある程度はガマンをする必要はあるだろうとは理解している。
しかし、契約にある作業項目についてはなんともやるせない。
そもそも一括請負に切り替える際、業務に含まれるべき作業の一部が、請負ベンダの要員のアサインの事情(技術的な事情)から、本来含まれるべきだが今回は契約には明示せず、その代わりに我々側が要員のアサインがなされるまでは何とか全面的に支援して今年度はやり過ごすであったはずだ。このことは契約当事者同士でネゴシエーションがなされ、その上での契約であるはずである。
それが、それがだ。契約にないから(その業務は)やらないときたから驚いてしまう。契約にないのはそれをやらない意図があるから作業項目に計上していないからだときたもんだ。なるほど、『何とか全面的に支援して今年度はやり過ごす』は言うなれば、『そのような事実があったかどうか不確か』なわけで、そのような話が確かにあったかもしれないが、実際に動いている契約にはその作業は含まれていないのでやりませんよ、なのだ。
まぁ、そりゃぁそうかと思う。契約に従って業務を行うわけなのだから、そりゃぁ契約になければやる必要もなかろう。可能性すら必要ない。もしそれをやるとしたら善意によってなされる程度のものだろう。来年度からは作業を請け負うわけで、そのために、今から少しずつでもノウハウや知識を継承していこう、とかそういう殊勝な心がけは存在しないし、今のうちに少しずつでも取り組むことによって指導または継承のリスクをヘッジするなんてことは大きなお世話なわけだ。
そんなビジネスとして当たり前の感覚を相手が持っていることを、考えもしなかった自分が恥ずかしい。